人生の満足度をアップさせる自己決定
ちょっと読んでみようかな。
そう思って、目に留めてくださったみなさま、こんにちは。
精神障害、発達障害の方の就労支援をしておりますペガサス平塚センターの宇佐美です。
みなさまがこのブログページに立ち寄って下さったこと、それは当然ではありますが、みなさまがご自身で選択して決定されたことです。
なんか、つまらなそうだな。
と、ここでページを閉じられたなら、それもまた読まないという行為を選択し、決定されたことのひとつです。
こんな形で数えていけば、私たちは日々いくつものことを自分で選択し、自分で決めて、生きているとも言えるでしょう。どんな一日であれ、自分の意思で過ごしたなら、それは大袈裟に言えば、自己決定によって過ごしているということになると思うのです。
ところで、5年ほど前に発表されたものですが、とても興味深い調査をした方々がいらっしゃいます。それは、日本人2万人を対象に、幸福感は何から得られているのかをアンケート調査したというのです。その結果、「健康」、「人間関係」に次いで第3位に「自己決定」が入ったそうです。研究者は「所得」や「学歴」よりも上位に、「自己決定」がランクインしたことに注目しています。(西村和雄氏・八木匡氏『幸福感と自己決定―日本における実証研究』2018年)
自己決定で得られる満足感
自己決定が幸福感をもたらすとは、どういうことでしょう。
私はこの幸福感の前に、まず満足感があるのかなと思います。
子どもの頃、「宿題、やった?」とか「おもちゃ、片付けて」とか母に言われたりすると、「今やろうとしてたのに〜」なんて小さな言い訳をしたことがありますが、不思議なことに言われてからやるのと、言われる前にやるのとでは、ずいぶん気分が違ったのを覚えています。
漢字のノートに文字が埋まるのも、床に散らばっていたおもちゃがケースに仕舞われるのも、結果は同じなのに、言われる前に自らやると非常に満足しますし、妙に自分がカッコよく見えたものです。
これは、宿題をやるタイミングやおもちゃを片付けるタイミングを、自分で決めて実行したという点に満足しているのだと思います。それが、学校から課せられた宿題だけではなく、また母から言われたおもちゃだけではなく、自主的に学ぼう、自主的に部屋をきれいにしようとしたのなら、さらに気分はよいものとなるでしょう。
しかし、自らやり出したものが、中途半端になってしまうということも、ときにはあります。自分で取り組み始めた学習の難しさに困惑したり、片付けようとしたら思い出の品を眺めるだけの時間になってしまい、さらに散らかった部屋の真ん中で途方に暮れたりした経験は私にもあります。
やはり、人に言われたことだけをやっていれば、それほど大きな問題もリスクもないでしょうし、効率もよいのでしょう。しかし、それで十分満足できるかと言われれば、そうとも限りません。
なぜなら、人に指示された通りにやって成功するよりも、自身でいろいろと模索しながら手に入れた成功の方が何倍も嬉しいからです。
逆に、失敗した場合はどうでしょう。人の指示に従って失敗しても、もしかするとそれほど悔しくないのかもしれません。心の片隅で「指示が悪い」と人のせいにして、自分を慰めることもできるのです。しかし、自身でやろうとしたことが失敗したのなら、それはとても悔しいでしょう。ですが、その悔しさは、今度こそ成功させるのだと自分を奮い立たせてもくれるのです。自分で決めて実行したことですから、失敗した原因も改善策も自分で探ることができるでしょう。
よく「失敗は成功のもと」などと言われますが、それは自分でやろうと決めたことに限るのではないかと思います。そのため、自己決定をすることはたとえ失敗のリスクがあったとしても、私は大切だと思うのです。
脇役ではもったいない!
人から指示された通りに生きていたならば、それは自分の人生ではなく、他人の人生を生きていることになってしまいます。
すべてが自由だと言うのはやや乱暴かと思います。実際にはいろいろな制限があるのも事実です。ですが、その中でひとつひとつ自分で決めて生きていけたなら、あなたはあなたの人生の主人公になれたと言えるでしょう。あなたの人生なのですから、脇役ではもったいないのです。
今日はこのあと何をして過ごしますか? そんなところからで大丈夫です。どう過ごすかを自分と対話しながら、ひとつひとつ丁寧に選ぶところから意識できればいいなと私は思います。
是非、ご覧ください。